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老子 <二十七章> 自然な生き方
自然な動きは動きのあとを留めない。
自然なことばに失言はない。
自然な計算に算盤(そろばん)はいらない。
自然に閉じた門はカンヌキなしで閉じたのだから開きようがない。
自然に結ばれた縄は結び目がないから解きようがない。
聖人はあらゆる人を自然な生き方にみちびく。
したがって、聖人のもとでは捨てられる人はない。
また、あらゆる物を自然なありかたにみちびく。
したがって、聖人のもとでは捨てられる物はない。
これが明であって、同時に明を忘れた無為自然の境地である。
だから「道」を知る者は「道」を知らぬ者を救い、
「道」を知らぬ者は「道」を知る者に救われる。
しかもたがいに救ったことに気づかず、救われたことに気づかない。
「智者(程度)の作為」をもってしては知り得ぬ境地、
これが「道」の至妙な極意である。
<社名「老有自」の由来>
私は古代中国の究極の思想家「老子」が大好きです。彼は説きます「無為自然」(何も為さずに自然でいよ)と。とてもそこまでは悟れそうもない私は「無為」を「有為」に替え「有為自然」(為さねばならぬ事は多く有る、でも自然体でいたい)と自分なりに造語し、老子、有為、自然を略して「老有自」と名付け、この言葉を事務所活動のシンボルとして行きたいと思っています。またこの社名は「老いて有る自分」(歳を重ね素晴らしい事が無限に解かって行く過程を楽しむ自分)という意味も込めたいと思っています。