<雑誌「新建築」掲載記事及び執筆文>

 ライト・カーン・そしてポストモダン(1981年「新建築」掲載)

1981年(35歳)、海老原建築設計事務所時代
第40回新建築海外旅行視察団参加レポート(アメリカ)
−ライト・カーン・そしてポストモダン−



ジョンソンワックス社前 イエール大学英国美術センター内

「皆さん、お忙しいところ長い間ありがとうございました」
*「イイエ、ところで、どうでした?」
「盛りだくさんで面白かったですよ」
*「ところでポストモダンは、どう?」
「いきなり来ましたねエ。・・・・俺なりに大きな流れは掴めた気がするよ。唐突だけど、著名な作家の文章に「文明と文化論」があってさ。簡単にいえば、“文明”とは特定の地域の“文化”の中から広く役に立つ普遍性を獲得し得たものだけが“それ”と呼ばれるようにまでなり、その地域の中でしか生きられないが、また同時に、その地域の人々の心をこよなく和ませるもの、これを“文化”と呼んでいたなあ」
*「フーム」
「つまりその引用だけど、“モダニズム”とは、この地域全体を覆う“文明運動”だったろうと思うけれど、その普遍的手法に疲れた今、特にここ何世紀の中でもっとも巨大な文明国家「ユナイテッド・ステイツ」の場合、異人種・異文化の集まりだから、これを治めるためには強力な“普遍性”が必要だったわけだろうけど、この世界、個人にはあまりに厳しく孤独で、寂しいらしい。そこで、かの著名作家いわく「心のふるさと“文化”探索」の時だそうだよ、今のアメリカは」
*「ホウ」
「どこか地球の片隅の異種文化に己のルーツを求めて旅する若者、それを本に求めて熱心な図書館マニアになる学生、異文化料理に凝って抜き差しならなくなったビア樽オバサン達」
*「いるいる、ソーユーの」
「そんな流れと平行してモダン建築の世界を眺めて見れば、“古き良き”時代のアーリーアメリカンスタイルや、“人間性回復”時代のヨーロッパ様式などを導入したりアレンジしたりして、時と共に消えていった、何か心安まる部分を再発見させようとしていると思われる“ポストモダン”現象が出てくるのはむしろ当然で、これから、エスカレートするばかりだろうな」
*「なるほどね」
「ただ、まだほんの走りで、俺の見た建築の範囲で、その多くは未熟児ばかり、他人のこというのは簡単だけどな、ヘヘ」
*「そのカタチだけ雑誌から輸入してマネてる何処かの国の方達は、イージーという以外にないというわけだ。・・・他には?」

「そこでやはり、ライトとカーンに話が及ばねばなるまいなあ」
*「そんなにいい?」

「3、4がなくて、って感じ。ポストモダンうんぬんの次元を遥かに超えてる」

*「やっぱし」
「落水荘」もいいけど、「ジョンソンワックス本社ビル」へ行った時のあの感動、何とも形容しがたいあのインナーライトを身体で浴びて来たんだぜ、写真以上だぜ、あれは」
*「チキショウ」

「時代を越え、建築の本質は光へのデリケートな感性だ。絶対にッ! それに、決して手を抜かないディテールへの執念、これが無くては決していい建築は生まれない」

*「だいぶ熱くなって来たナ」

「あのエレベーターのディテール、それにあのオッサン、年齢に比例して新しいものへのエネルギーがエスカレートして行くから凄いねエ」

*「へエ−、・・・それでカーンは?」

「聴いて下さいよ、「キンベル美術館」もいいけど、「イエ−ル大学・英国美術センター」の光への執着。トップライトの断面を見てくれ、ルーバーの“刃”が一枚づつ微妙に角度が変わっている。また、決して補修などせず、作る過程も率直に造形の中に取り込もうとしているコンクリートの打放しは、トラバーチンの次元まで高めようとしているし、ガラリなどで逃げない設備システムへの細かい意匠的配慮、そして、あの内部階段の手摺、写真じゃ分らないのが残念だけど、動けなくなったよ。どうしてこんな今までに見たことのない形が出てくるのか・・・。ひとつ分ったのは、他人のいいものを器用に取り入れるところからスタートしたものに本物はないということ。最初から最後まで自分自身を信じろって言ってるよ。あの手摺。彼の作品全般に感じたことだけど、スケッチ、模型とコンセプトを交互に執拗に展開しながら、オリジナリティを増幅させ、形を高い次元にまで押し上げて行く圧倒的で、しかも静かな、よく抑制されたエネルギー。エイリアン、カーンの面目躍如」
*「そういえば、顔もETに似ているよナ」
「それを目の前にしたら、もう俺たちゃ今まで何やってたんだろう、チュクショー!おいらもガンバルゾー!」

*「ヤル気出してるな。期待しないで待っとるゾ!」


 建築思考−ネガティブなるもののすすめ(1992年「新建築」記載)

 KAWAMURA MEMORIAL MUSEUM OF ART (1990年執筆)